私が思っている丸は、丸じゃないかもしれない。
雨続きです。
今月はお休みが多いヒマヒマ月間なのに、乗りに行くことが出来ない。
室内でのローラー台も、なかなかにしんどい。
今回は、最近少し考えていることを書こうかと思います。
仕事上、『地面と垂直になっているものに、周り止めを掛ける』という作業があるのですが、これが慣れていても、なかなか上手くいかないことがあります。
というのも、最初にこれくらいが垂直だろう、と目星を付けたその感覚が間違っているからで、実際の垂直は、もっとゆがんでいたりします。
人間は先入観の生き物で、最初に見た情報を正しいと認識しやすい。
これは週刊少年ジャンプで連載中の「ハンター×ハンター」で語られていたように思うが、要は「最初に誘いを受けたのがあちら側なら、今頃はあちら側にいる」という当然のことで、これはちょっと立ち止まって考えて見なければわからないことかもしれない。
最初に上手くいってしまうと、割と人は試行錯誤しなくなるもので、「人は習慣の奴隷だ」と伊坂幸太郎の小説でも語られていたように、それが正しいと信じてより良い方法を見つけようとしなくなる。
それで満足ならなにも問題はない。
しかし、こと宗教や政治に話を移すと他人に自分の考えを押しつけ、否定し、自分の考えが正しいことを証明しようと行動を起こし、人に迷惑を掛けてしまうだけたちが悪い。
ので、ここではその手の話はしないが、自転車に関してはそれが自分に返ってくる。
下手くそなペダリングを続ければ、その分だけ体力を消耗し、スピードが落ちる。
もちろんその速度で満足しているなら話は別だが、手っ取り早く痩せるには、速度を上げて消費カロリーを増やし、少しでも早くに家に帰り着き、十分な休養を取ることが大切だ。
そう、前にも書いたかもしれないが、私は一刻も早く自分の部屋に戻るために自転車に乗って出掛けているのである。
矛盾してはいないと思う。
それが最も効率の良い自転車での痩せ方だと思うからだ。
話が逸れた。今回はペダリングの話だ。
筋肉が疲れてくると、別の筋肉を使い始める。
それと同じように、クランクを回すイメージも変わってくるし、変えているつもりだ。
アンクリングは良くないことだという認識はあるが、意図的に使用することも少なくない。
私が思っている丸は、丸じゃないかもしれない。
このタイトルに思い至ったのは、オリンピックのアイススケートを見ていたときだ。
右足を蹴り出して前進する選手は、左足を蹴り出す前に動きが止まる。
氷は抵抗値が少ないからジタバタ動いて体力を消耗するよりも、ひと蹴り分の推進力が働いているうちはそのまま前進した方が良いのだ。
ペダリングも同じじゃないのか?
『足を止める事なくスムーズに円運動する』ことばかりに気を取られ、肝心の効率にまで頭が回っていなかった。
そもそも、私が考えているこの脚の円運動は、本当に円なのか?
そもそも、円運動がもっとも効率的なのか?
パワーメーターが欲しいと思った。
一度でいいからペダリング効率とやらを測ってみたい、と。
しかし私が使える指標はせいぜい回転数と心拍数、そして速度くらいのものだ。
だからイメージを改めてみた。
完璧な円じゃなくていい。
下死点でコンマ何秒か止まっているイメージ。
氷の上を滑っていくように、闇雲に力を込めない。
私の思う垂直が垂直でなかったように、私が考えていた円は、円ではなかった可能性がある。
そして、この非効率的とも思える偏ったペダリングにも、実は使いどころがあったのだ。
山で、平地で、より踏む力を込めていかなければならないとき、このペダリングがガッチリはまった。
特にネリッシモは車体が軽くなった分だけ、どこかペダリングが空回りして進ませられていない気がしていた。
でも今はネリッシモが楽しい。もっと進ませられると感じるからだ。
脚が止まっている感覚のあるコンマ何秒かは、脚が休まる瞬間でもある。
頑張る、というのは闇雲に動いて消耗することではないのだ。
速く走るためには休んでいい。
それが最高に効率の良い方法であるかもしれないから。
とかなんとか、格好つけて書いてみましたが、ホワイトデーを忘れていて、仕事終わりに急いで高島屋まで走ったのは私です。
鬼岩ライドしている場合じゃなかった。
「手作りチョコ用意したのに…………」
と怒られました。
人間として割と最低な部類に入ると思います。
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これのチョコを探し求め……